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プロフィール

当サイトへお越しいただき、ありがとうございます。

以下のふたつのメディアを運営しております、管理人の「うい」と申します。

  • 女性向け総合メディア「UIPOT. tokyo」(ういぽっと)
  • ヨガメディア「UIPOT for YOGINI」(ういぽっと for ヨギーニ)

どうぞごゆっくりおくつろぎください。

「うい」のプロフィール

初めまして。うい(@uiuiuipot108081)です!
名前  うい
名前の由来  本名の漢字の一部
出身地  静岡県東部
現住所  東京23区
年齢  31歳
血液型  O型
星座  おとめ座
趣味  読書 ゲーム
特技  タスク管理 料理
口癖  「そのへん置いといて」
長所  集中力
短所  すぐ怒る
性格  テキパキしている
好きなタイプ  物静かな人
嫌いなタイプ  うるさい人
好きな作家  村上春樹 貴志祐介
好きな色  青 緑 白
好きな食べもの  チョコレート からあげ
嫌いな食べもの  ラーメンの上のメンマ

私は都内在住のアラサー主婦です。今は、税理士の夫とふたりで仲良く暮らしています。

ういの夫だ。よろしく頼む

私はというと、フリーランスのノマドワーカーとしてマイペースにお仕事中です。

それと並行するかたちで、2018年夏に当ブログを開設。自分の知識や経験を発信することが楽しくて、今日まで続けてこられました。

「うい」のこれまでとこれから

次に、今の私を形作った遍歴について、以下の2つの視点から振り返ってみたいと思います。

  • 職歴
  • ネット歴

長文となりますが、お時間のある方はお付き合いください。

「うい」の職歴

地元(静岡)の企業OL
営業部や管理部を経験します。
某大手化粧品メーカーのBA
ビューティーアドバイザーとして勤務しますが、劣悪環境によりリタイアします。
某大手証券会社の受付嬢
正面の飲食店の客入り観察と、警備員との雑談のルーチンでした。
輸入車ディーラーの事務兼受付
人生で初めて尊敬できる上司に出会えました。ただ激務で、10キロ近く痩せました。
ブライダル貸衣装店のドレスコーディネーター
ブラック企業で心身ともに壊れました。
不動産会社(土地活用)のOL
忙しかったものの環境に恵まれていました。将来的な働きやすさを優先して退職します。
IT企業の役員秘書
いわゆるベンチャー企業で、肌に合いませんでした。
フリーランスの執筆業
現在は妊活を優先し、仕事量をセーブしています。

私は昔から、常に生きづらさを抱えてきました。

組織の中で、言いようのない居心地の悪さを感じるのです。限界が来ては職を変え、何度か転々としてきました。

私が本当の意味で信頼の置ける仕事仲間に出会えたのは、輸入車ディーラーのときです。

「輸入車ディーラーの事務兼受付」

入社して早々、前任者の方針に納得できず店長へ大泣きしながら直訴。そのまま早退しました。

周囲はその様子を見て「翌日から来ないだろう」と思ったようですが、翌日は通常出勤。その後も事あるごとに店長や上司とやり合いました。

そのお陰で絆も強固となり、結果として当時最長となる3年超の期間を勤めあげます。

とにかく激務で、月末最終日と決算時期は午前様(退社が深夜0時を回ること)も珍しくない毎日。地方で車社会だったことから、終電のリミットがないわけです。

クリスマスを前に、深夜の暗闇の中で光り輝くツリーを見ながら、「仕事が終わらない…」と涙したことも…

激務と心労が重なり、食べることに興味を持てなくなった結果「拒食症」と判定され、10キロ近く痩せてガリガリになりました。生理が1年以上止まったのもこの頃です。

東日本大震災が起こる

そんな中でもしだいに腰を落ち着けてきた頃、例の東日本大震災が起こります。

立体駐車場の車が横にぐらんぐらんと揺れ、ショールームのテレビに映し出される惨状へ、従業員と顧客で目が釘付けになりました。

計画停電地域だったため、深夜の帰路では信号が止まっている交差点をビクビクしながら走り抜け、自宅が計画停電中は妹や友人と近所の飲食店で時間を潰しました。

このとき強く感じたのは、「当たり前の日常はいつ崩れ去ってもおかしくない」ということ…

これを機に上京を決意し、退職します。

「ドレスコーディネーター」

前職が激務だったことから有給がたくさん余っていたので、しばらくはのんびりと過ごします。

自由を謳歌しながらぼんやりと眺めていた求人広告で、煌びやかなブライダル業界に惹かれました。物は試しと飛び込んでみたところ、これが真っ黒もいいところの ブラック企業

ここで心身ともにボロボロになります。

下っ端は毎朝、裏の廊下へ運び込まれるドレスの入った段ボールを開け、店内のドレススペースへしまう作業からスタート。他店舗から発送依頼があれば、箱詰めも並行しておこないます。

時間を節約するため、数キロあるドレスを両手に持てるだけ持ち、裾を引きずらないよう高々と上げながら走り回るのです。手は傷だらけ、腕は筋肉痛。

華やかなブライダル業界のイメージとかけ離れた現実でした。

女社会のイジメに遭う

女社会であるからかイジメも蔓延しており、毎晩暗闇の中でドレスのお直しをさせられました。

悔しくて、ドレスのクローゼットの中に隠れてよく泣いてた…

毎朝自分を奮い立たせて出勤していましたが、ある日の朝、最寄り駅に着いた電車からホームへ踏み出すその一歩が、頑として動かないことに気づきます。

そのとき、自分が既に限界を超えていることを悟りました。

そのまま向かいに来た反対方向の電車へ飛び乗り、その足で故郷へ逃げ帰りました。

「不動産会社(土地活用)のOL」

しばらく地元で療養したあと、それでも都会に舞い戻ることを決めます。次の職場として選んだのが、この不動産会社でした。

入社した当時は横浜に住んでいましたが、本社配属だったため通勤の利便性を考慮して都内に引越しました。それから4年超を勤めあげます。

都会のど真ん中、綺麗で近代的な環境で仕事ができたのは、上京の動機だった「都会への憧れ」を存分に満たすものでした。

特殊な職種だったため、日中はほぼ1人で仕事ができたこと。職場仲間は男性比率が圧倒的に高かったことなどが幸いし、非常に心穏やかな日々を送れていました。

福利厚生が整っていない

特にこれといった問題もなく快適に勤めていたのですが、この頃に今の夫と出会い、先々の働き方について考えるようになりました。

この会社は決して女性が働きやすい職場とはいえず、私の当時属していたポジションでは、もし産休・育休を取ろうものなら私の帰る場所がなくなることは明白でした。

思えば女性社員は、結婚や妊娠を機に退職する人が半数以上を占めていたなぁ…

将来的に長く勤められる環境を求め、退職をする決断にいたります。

「IT企業の役員秘書」

いうなれば、これまでの職歴ではそれなりに実績のある企業がほとんどでした。ただこの会社は近年上場したとはいえ、あくまでITベンチャー

社長や役員たちにはとてもお世話になりましたが、社内体制はずさんで、上層部含め「問題が起こってから対処する」「見切り発車」が多すぎて疑問しかありませんでした。

人事の責任者からパワハラに遭う

あるとき突然の組織改革がおこなわれ、私の立ち位置が雇用契約書に反するものとなりました。

何の窺いもなく実行されたことに納得できず、人事の責任者に問い質したところ「会社はグレーなものなんだよ!」とパワハラ発言に遭い、衝撃を受けます。

結果として精神面から体調を崩し、かねてから「専業主婦になってくれて構わない」と言ってくれていた夫に甘える形で、退職を決意しました。

その責任者は複数の社内告発を受け、あとあと退職に追いやられたと耳にしたよ

「フリーランスの執筆業」

夫から「組織に属すのは向いていない」と診断され、強く納得しました。

とはいえ性格柄、専業主婦は不向きです。何かしらの仕事に携わっていたいという思いは頭を離れませんでした。

ちょうどその頃からでしょうか。ノマドワーカーやフリーランスといった新しいワークスタイルが周知されるようになり、「自分だけで仕事をする」という選択肢に気づきました。

夫も税理士という立場上、私を全力でバックアップしてくれました。

何も知らない私に税金対策の方法や、契約書の指南をしてくれるだけでなく、夫の顧客を通していくつもの仕事を貰えました。

妊活を優先する選択を取る

自分で積極的に営業したことや、夫の協力の甲斐あってか、ありがたいことに締め切りに追われるほど忙しい毎日を送っていました。会社員時代より慌しいと感じるほどです。

フリーランスとして最低限の成果を出せている自分に満足をしていましたが、その一方で、自分を追い詰めすぎていたのか体が不調をきたし始めます。

妊活でいう高温期が延々と続き、おかしいと感じて不妊専門外来へ転院したところ、遺残卵胞が確認されました。その後に出血。一度ピルでリセットをすることになりました。

不妊治療では、ストレスフリーな生活が前提となります。

お金をかけて不妊治療をしている今、他方でストレスフルな仕事をしていては意味がないと考えを改め、思い切って「休む」ことを決めました。

不妊治療は、知識を身につけるところから一緒に始めてみませんか?

今は信頼の置ける取引先とのみ少量のお仕事を継続しながら、空いた時間でブログの運営をする生活を送っています。

このブログ運営が本当に楽しくて♡お陰さまで充実した毎日を過ごせているよ

「うい」のネット歴

私はこれまでを振り返っても、ネットとともにある人生を歩んできました。

そこでここでは、これまでのネット歴について簡単に振り返ってみたいと思います。

ゲーム攻略サイト

私のネット歴はゲーム攻略サイトに設置されていた「一言チャット」に始まります。

「ドラマ」と名付けられていたそのコンテンツは、ゲームのキャラクターを選んで発言できるシステム。そこでたくさんの顔見知りができました。

時を経た2014年頃だったと思いますが、当時交流していたメンバーの一人が私を見つけ出し、他数名も見事探し出して、10年以上の時を経て秋葉原でオフ会をしました。

しかし、かつてネット上でしか交流のない仲間が10年の時を経て会ったところで、話が合うハズもなく。

思い出は、楽しい記憶のまま心にしまっておくのが一番だね…

キラキラサイト運営

キラキラサイト全盛期の時代、私も運営者のひとりでした。

ホームページビルダーを駆使しながら、小窓サイトに「ME」「MIX」「KISS」「MEMO」などのメニューを盛り込み、頻繁に「リヌ」と称してリニューアルを繰り返していました。

わざとわかりづらいところに隠しページも潜ませておくんですよね。

このときに得たHTMLの知識は、今もそれなりに役立っている…かも?

MMORPG(オンラインゲーム)

私は生粋のゲーマーですが、中学生の頃のラグナロクオンラインを皮切りに、テレビゲームと並行してオンラインゲームも楽しむようになりました。

私がかつてプレイしたタイトルを時系列で並べてみます。

ラグナロクオンライン
この頃はまだネット回線が従量課金だったので、時間を決めてプレイしていました。
うさみみバンドのヒラ。懐かしいです。
シールオンライン
かわいい3等身のキャラクターが特徴。2014年にサービス終了済。
トリックスター
アニメ調の世界観が特徴。2014年にサービス終了済。
セカンドライフ
仮想世界で第二の人生を歩むシステム。一時は企業がこぞって参入しましたが、後にその多くが撤退。
SL内で結婚したり家を持ったりキャバ嬢として店のナンバーワンにのし上がったりしました。
タワー・オブ・アイオン
妹とSkypeしながら協力プレイをしていました。
ただこの頃には既に過疎化が進行していて、活気がなかったです。
ファイナルファンタジー14
2013年8月のβテストからプレイ開始。廃すぎて体調を崩し、1回の休止を経て1年後に引退。
おもにヒラ職として学者を生業としていました。

今も時間さえ許せばゲームに明け暮れたいけど、なかなかそうもいかない現実…

数々の無料ブログ運営

今のような「読者ありき」のブログではなく、以前はただ自分の日々を綴る「日記」としてブログを運営していました。

以下のような無料ブログサービスを利用したことがあります。いずれも閉鎖済。

Wordpress自体は2018年春に一度立ち上げていたけど、ほとんど更新せずに放置してたの。本腰入れて開設・運営をスタートしたのが2018年8月1日。「UIPOT. tokyo」の記念日です♡

おわりに

長々とお付き合いいただき、ありがとうございます。

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